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年金への不安と不満・格差を生んだ日本の年金制度の歴史
日本の年金制度の歴史は、
終戦直後の高度経済成長期から1973年頃まで、
低い「年金単価」を引き上げてきましたが、
ここまでは年金制度の一般的な理論とは「逆コース」になります。
実は、戦前の年金水準は先進国の年金制度と比べても
それほど劣っていなかったのですが、
終戦後は国民経済が疲弊していたため、
年金額や年金保険料が減額されていたのです。
この「逆コース」は、経済が回復すれば年金支給水準の
また、高度経済成長によって日本の経済力は戦前を超えているのだから、
戦前の水準の回復を超えて年金支給水準を引き上げることは、
ある程度は認められるべきである。
ところが、それが行き過ぎてしまった。
1973年は “年金年!?”
年金支給水準の引き上げの歴史は、1960年(昭和35年)の
改定に遡るが、当時はまだ先進国の年金に比べて劣っており、
1969年(昭和44年)の改定では概ね国際水準に達していた。
さらに、1973年(昭和48年)は「年金の年」と言われ、
年金の支給水準が大幅に引き上げられている。
私に言わせれば、この1973年の改定はやりすぎだった。
1973年(昭和48年)の改正による年金水準の引き上げは、
近い将来に登場する長期年金受給者の年金額が高くなりすぎる事態を招き、
結果的に年金制度の継続性が危ぶまれることになる。
そして、1985年(昭和60年)以降の年金制度の歴史は、
年金の支給水準引き下げの歴史へと変わっていきます。
しかし、支給水準の引き下げは、年金受給者にとって
「不利益な変更」であるため、既得権を考慮しながら、
長い期間を要する。なぜなら、”既得権益 “に
侵されている人たちの抵抗があるからです。
そのため、改正時に既得権益を持たない世代、
つまり、改正時にまだ年金制度に加入していない
その一方で、支給水準の引き上げなどの「利益変更」は
簡単に実行できる。当然のことながら、
年金額が増えても誰も文句は言わない。庶民に歓迎されているので、
野党も反対しにくいし、政治的な抵抗もありません。
“儲かる変化」は簡単で、「不利益な変化」は難しい。
年金の世代間格差の背景にはこの原理がある。
年金制度も社会制度である以上、その時々の政治や経済などの
社会情勢に左右されざるを得ない。日本の年金制度は、
高度経済成長期の「いけいけどんどん」の時期に
「利益変更」をしすぎたために、「不利益変更」の
1985年(昭和60年)の年金改正は、「高すぎる年金支給水準」を
是正して年金制度の継続性を確保するとともに、
厚生年金、共済年金、国民年金というバラバラの年金制度を
統合するものであった。目指したのは大きな改正だった。
現在の年金制度の基本設計は、1985年(昭和60年)の改正に基づいている。
その後の改正は部分的な改正であり、
「マイナーチェンジ」と呼べるものです。
前回述べたように、年金制度の一般的な理論は、
年金制度がスタートしてから時間の経過とともに
「単価」が下がらない限り、長期の年金受給者が登場すると
年金額が増えるというものである。その後は年金制度が
使えなくなるので、時間をかけて徐々に「年金単価」を
これが年金制度の「お決まりのコース」だとすると、
日本の年金制度は1985年(昭和60年)にようやく
「お決まりのコース」に戻ったことになる。
しかし、1985年(昭和60年)時点(実施は翌年から)で、
日本の年金制度が発足してから40年以上が経過しています。
定期コース」への復帰時期が遅かったため、長期加入で
また、年金支給水準の引き下げは「不利な変更」であるため、
既得権を考慮しながら長い期間をかけて行われました。なります。
これが、年金の世代間格差を生んだ大きな要因である。